コラム
- インタビュー経営者の悩み
会社をM&AしてFIRE&ASEANでの南国生活を実現した中小企業社長
中小企業の出口戦略として、あるいは成長戦略として選択肢に挙がってきたM&A。実際にM&AによってFIRE(経済的自立と早期リタイア)を達成し、ASEANのとある島で悠々自適な生活を送っている元中小企業社長のAさんもいます。Aさんは、日本の地方都市でナンバーワンのレンタルビデオショップチェーンを経営していました。なぜAさんは、「会社を売却する」という選択をすることができたのでしょうか。
◆地方都市で地域No.1になったレンタルビデオショップをM&Aで売却
現在50代のAさんは、2005年頃までは日本の地方都市で地域No.1のレンタルビデオショップチェーンを経営していました。年商は約30億円で、利益は8~10%。競合らしい競合は同じ地域にはなく、まさに「一強」状態だったと言います。
Aさんはゼロからレンタルビデオショップを起業し、年商30億円の企業にまで育て上げました。その過程を、Aさんはこう振り返ります。
「起業当時は、お金も信用もなかったです。会社員時代に貯めていた300万円と、親から借金した500万円で小さなレンタルビデオショップを始めました。当時20代だったので、体力もあって毎日毎日がむしゃらに仕事をしました。
会社員ではないから、決まった給料日に決まった金額が振り込まれるわけではない。今月の売上目標が達成できても、来月はどうなるかわからない。売上目標を達成できたとしても、利益が残るとも限らない。人を雇ってもなかなか定着しないですし、店長を任せられると思って期待した人材が育った頃に辞めていく。そんな徒労感を覚えることもしょっちゅうでした。
それでも、自分で決めて始めた事業でしたし、生活もしていかないといけないですから、無我夢中で働きました。それで軌道に乗り始めて、信用力もついて金融機関からの融資で店舗展開ができるようになったのが起業から5年ほど経った頃です」
起業というゼロイチの苦労を経験したAさん。M&Aで会社を売却した後は、ASEANの島に移住し、悠々自適な南国生活を楽しんでいます。今でこそM&Aは、中小企業の出口戦略や成長戦略の選択肢の一つになってきていますが、15年以上前、それも地方ではまだまだM&Aはメジャーな選択肢ではなかったでしょう。
ではなぜAさんは、会社を売却するという決断ができたのでしょうか。
「レンタルビデオショップ業界の大手企業2社が、買収したいという話を持ってきました。それがM&Aを検討したきっかけです。うちが地域No.1になっていたので、大手企業2社は自社で出店していくよりもM&Aで買収した方が手堅くてスピードも早いと考えたのでしょう。
業績は良かったのですが、ずっとこの事業を続けていこうという熱意も正直なところ薄れてきていたので、“買い手が現れたときが売り時”と思って話を受け入れました。シンプルに言えば、それだけのことです。2社から条件を聞き、より事業を伸ばしてくれそうで経営陣との性格的な相性も良い方を選びました」
と、Aさんは語ります。
「買い手が現れたときが売り時」
言葉にすればそれだけのことですが、ゼロから事業を立ち上げ、苦労と成功を経験した創業者にとっては、「会社の売却」はなかなか実行できないことです。
◆M&A成功のポイントは「売り時を逃さなかったこと」
レンタルビデオショップと言えば、15年以上前であれば、まだ町のあちらこちらに店舗がありました。しかし今では、動画配信サービスが一般的になり、わざわざ店舗に行ってDVDやCDを借りる機会は減ってきています。
仮に2020年代にレンタルビデオショップを経営していたとしたら、大手企業2社から買収の提案はあったのでしょうか。
「私は運が良かったです。今だったら、当時ほどの値段で会社を売れなかったでしょうし、そもそも買収の話すら来なかったかもしれません。
また、会社を売却していなければ、動画配信サービスの台頭によってレンタルビデオショップの売上はどんどん下がって会社経営も生活も厳しくなっていた可能性があります。その前に別の事業に業種転換していたとは思いますが、ゼロイチを経験した分、もう一度あの苦労をしようと思うかと言うと…。20代の頃とは違い、体力も少し衰えていますから。良いタイミングで買収の話がきて、時代の流れに翻弄されることなく、時流に乗れたのかなと感じています」
そうAさんが話すように、「会社を手放すタイミング」は極めて重要であると言えます。経営者自身の後の人生にも大きく影響するでしょう。
Aさんは、大手企業2社から買収の話が持ち掛けられた後、M&Aアドバイザーを選定し、間に入って調整してもらったそうです。
「自分の会社の価値は、客観的に見てもらわないとわからないし、自分で値付けしたら高くするに決まってると思ってM&Aアドバイザーに入ってもらいました。ただ、相手が大手企業だったからか、自分の想像以上の値段で譲渡することができました。本当、時代に合ったタイミングで売却することができたのだと思います」
◆M&Aによって実現したFIRE
Aさんは、M&Aによって得られた譲渡益数億円と自由な時間を持って、ASEANの南国に移住しました。現地の国営銀行の定期預金の金利は移住当時8%だったそうですから、リタイアメントビザを取得して銀行口座を開設すれば、利息だけでも悠々自適な暮らしができます。
2020年のコロナショック頃から注目されてきた「FIRE」を、Aさんは2005年頃にすでに達成していたことになります。FIREとは、「経済的自立」を意味するFinancial Independenceと、「早期リタイア」を意味するRetire Earlyを組み合わせた造語です。自由を求める若年層や閉塞感を抱えている30代、40代を中心に、早期リタイアして経済的な自立を目指す新しい生き方として2020年頃からブームになっています。
そんなFIREを実現したAさんは、今もご家族と現地で暮らしており、お子さんたちは大学生と高校生になったので、ご自身は趣味のゴルフやサーフィンをしながら生活しているそうです。
「10年くらい同じような生活をしているので、さすがに南国での暮らしにも飽きてきました。ゴルフやサーフィンは不思議と飽きないのですが、下の子どもが大学生になったら別の場所に移住しようかなと妻と考えています。しかし、コロナがもう少し落ち着かないと下見に行くこともできません。次の移住先も、ゴルフやサーフィンができるところが良いですね」
飽きたと言いつつも、また似たリタイア生活を続けそうなAさんですが、現地でできる趣味のある人は南国生活も良いかもしれません。経営者のなかには、「リタイア生活をリタイアする人」も多くいます。多忙ながらも充実した日々を過ごし、苦労や達成感を経験した人であれば、悠々自適な生活は物足りなくなるのでしょう。また、「仕事をしていない」という罪悪感を覚え、退屈になって再び起業する人もいます。リタイアを検討中の方は、今から趣味を持つことを考えても良いかもしれません。現代は人生100年時代と言われていますから、Aさんのような50代でもまだ折り返し地点なのです。
中島 宏明
1986年、埼玉県生まれ。2012年より、大手人材会社のアウトソーシングプロジェクトに参加。
プロジェクトが軌道に乗ったことから2014年に独立し、その後は主にフリーランスとして活動中。
2014年、一時インドネシア・バリ島へ移住し、その前後から暗号資産投資、不動産投資、事業投資を始める。
現在は、上場企業や会計事務所など複数の企業で経営戦略チームの一員としてM&Aや海外進出等に携わるほか、バリ島ではアパート開発と運営を行っている。